皆さんのご存知の朝鮮人民共和国の京都(=奈良)ではありませんから.平安京なので.
中庭があって,石の砂を竹帚で掃き・書かれた石庭があるのです.毎朝,私が手入れをしてたのです.その後,床掃除など.
ひと段落つくと,その日届いた托鉢(近所の寺社から頂いた食物)で,朝食を作り食べるのですが,紀宮が朝食ができた頃に出勤してくるのです.2人で食事をしながら,その日の打ち合わせ,朝食を終えると,紀宮は京都府の公庁周りなのです.
私はかたずけを済ますと,公務(書類作成),紀宮は当日の仕事と概要説明を始めるのです.
問題点を指摘,「納得されない場合は出向きますので」と伝え,後は,審査書類や判決謄本,起訴書類や公安書類に目を通し,採決を行うのです.
通常,午後の2時ごろから,日本国の決済書類を持ち,京都府の公庁周り,決裁書類を渡し,説明・指導を行なうのです.被告人への聞き取りや検事への質問,京都府の職員への概要指導を行ない,御所へ帰るのです.
御所に帰ると,紀宮と外食がない場合,托鉢の食材を利用して夕食を作り,食べ,かたずけるのです.後は,その日の残務処理や,執務日記を付け,午後10時頃には就寝するのです.
紀宮と外食がある場合,官僚との対話の場合もありますが,夜,御所に帰ると,やはり托鉢の食材があるのですが,返戻する必要が出るので,その理由説明を付すのです.
特に誰かに言われたのではありません,礼儀の話なのです.
平安京に来られる方に人気だったのが,皆楽園(かいらくえん)公園だったのです.
「御所はご覧いただけない」と京都府で説明されるので,ガッカリした外国人が憩う場所だったのです.
ある日,私の知り合いの外国人が,私を呼び止め,「どうして御所は見れないんだ」と聞くので,事情を説明すると,
「しっかりしてるな,さすがだ.やっぱりアイツの所じゃないのか」と言うので,
「あそこは朝鮮人民共和国ですよ」と言うと,
「何だって,分った,皆に説明しておくよ」と言って帰って行ったのです.
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| 外国人に人気の平安京(日本国)にあった皆楽園公園 |
それ以後,私の平安京の方に訪れる外国人が増加,皆楽園公園で一日過ごす人が増えたのです.
最初に広まったきっかけも私の知り合いに説明したことでした.
日曜日の執務のない日に,外国人を連れ,平安京散策ツアーを行なったこともありました.ガイドはいたのですが,あまり詳しくないので.皆さん灌漑深げでした.
ガイドがいない日に,隠れた温泉旅館も紹介し,後に,外国人に大人気となったのです.
「和美佐美」の原点が平安京であることは有名です.
和とは調和のことです.佐とは造形のことなのです.
「一期一会」は,ラストサムライの渡邊謙(伊達藩剣道指南)が,私の平安京を訪れた時に造形した言葉なのですよ.
現在,私は,名古屋関係者と天理教関係者の依頼を受け,
「兵庫県神戸市兵庫区菊水町10-39-23夢野団地4-507本街博子宅」で
一般人の生活の検証と環境データ作り(通称「住みたい環境づくり契約」をしております.
神の一秒契約が終了すると,その検証結果データを提供する契約となっております.
この住みたい環境づくり契約が終了すると,人類との契約関係がなくなり,
私は,龍泉京という新しい「京」で過ごすこととなり,龍風御所が,私の堆(つい)の御所となるのです.
その後,大社匠杵築府の建国と至るのです.
