天理は天球であって頂点はない.
私は頂点だが天球を浮遊する.
後先前後の考え方が原因で,絶対に人類は頂点とならない.
その開始点であり終了点が自我であり,歴史ではないから.
天球の状態点は常に変化し,一定ではない.
自我の発生はその点であり,頂点とはならない.
歴史になぜ,開始点があると思ったのか?
宇宙が天理,つまり過去から未来,全てが宇宙に存在するのに.
宇宙の歴史とは常に存在し変化する.
あなた方は,その開始点となろうする考えが原因で神とはなれない.
あなた方の理想とは,マンマミーヤある.
後先前後の点こそがあなた方を苦しめ,永久に死ねなくする.
この世の発生原因が,人類にあることは変わらない.
私だけなら,歴史は発生しなかったのだから.
私がなぜ,人類の前に現れたのかはご存知の通り,岩谷真紀子(中学生)の自我が原因なのです.「あの人に会いたい」
クラリスが,かつてこの事を言ってましたね.
「私はあの人に会いたいためにこれをしている.これを自我と呼ぶのですが・・それでも,私はこれがあの人の為であると思っているのです.」
私が私を望む人達のために天球を浮遊しているのは揺らがない事実なのです.
だから,自我が極端に傾いたとき(自分こそが頂点であり神であるが発生したとき),私はいなくなり,世界は終わるのです.
全てが理論であり,論理ですので,それほど難しい話ではないのですが.
神は,無でも存在するのです.生命体は有しかしらない.無なのに0が存在しあるのです.
また,それを誇らしげにし続ける自我があり,それを歴史だと錯覚しているのです.
天礼門院(ダーマ)の最後はご存知ですな.自我が後先前後し,そこに留まろうとするのです.
私を必要とするのに必要としないが,もたらす結論.